事業分野

患者の幸せのためのヘルスケアビジネス、医師の視点で創りあげる新しい医療文化を目指しています。

主たる関心と事業分野は:
①医療IT、医療情報の基盤整備、
②ヘルスケア分野のマーケティング
③ヘルスケア分野の新規事業開発

■ Yang HaoーYung ( 楊浩勇 ) ■■■

【略歴】:日本国籍、シンガポールの永住権を持つ。神戸にて三代目華僑として生まれ、中学高校はシンガポールに留学。慶應義塾大学医学部卒業後、同大学眼科学医局に入局。その後慶應医学部医療政策・管理学教室、慶應大学院経営管理研究科、慶應大学院経営管理研究科特別研究生を経て、医療系ITベンチャー(株)メディカルデータ・リサーチを立ち上げ、マイクロソフト社等の出資を得る。その後ソフトバンクと米医療情報最大手WebMDに全株を売却。WebMD Japan取締役、日医総研客員研究員、Harvard School of Public HealthのResearch Fellowと、Harvard Business SchoolのRegina Herzlinger 教授に師事。帰国後、グループの関連事業への出資と管理を目的として(株)MHLを設立。

MHLのグループ事業は以下の通りです:

(株)メディウェブ

【医療分野のクラウドコンピューティング、ASP/SaaS開発、ウェブ関連事業】

(株)アイエフ・メディカル 

【健康関連の新規事業開発、サプリメント等商品開発と販売】、

(株)メディカル・ソリューション・サービス

【電子カルテなど医療系ソフトの受託開発】

医療法人健究社


その他役職:

■慶應義塾大学医学部客員講師

■福島県立医大医学部客員講師

■NPO法人Fight For Vison理事



【連絡先】 メール: yang@hci.jp 



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10.20.2009

ヘルスケア領域のパイオニア??えっ?ボクが??

第3回 IHLセミナー講演録 http://ihl2009.blog20.fc2.com/ から転載いたします(スミマセン、ちょっと、長文かもです、、、)。

アルトマーク社長室の小林肇さんが理事を務めるNPO法人IHL(医療におけるリーダーシップ研究)から、今年7月に講演の依頼をいただきました。

今日、たまたまネットサーフィンをしていたら、その議事録を見つけましたので、転載させていただきます。自分が講演で話した内容がこんな形で公開されるのは、とても恥ずかしいというか、かっこわるいというか。。。でも、ボクの思考の背景、根本の一部が見えるような気がして、、、そして、現在の基本的思考も。。。何かの参考になればと思い、ここでも公開させていただきます。

以下、転載:


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今回のセミナーのテーマは、「ヘルスケア領域のパイオニア達」。
それに則して、参加者には事前にアウトプットが設定されていました。それは以下5点です。

1 あなたがヘルスケアの分野で達成したいビジョンは何ですか
2 それを達成したいと思ったきっかけは何ですか
3 何をもってビジョンを達成できたとしますか
4 ビジョン達成に最も障害となるものは何でしょう
5 どうすればその障害を乗り越えられるでしょう

この課題をアウトプットするにあたって、本日はヘルスケア領域の2人のパイオニアをお招きしました。先駆者の足跡、特に「なぜ始めようと思ったのか」「途中の困難をどう乗り越えたのか」を学ぶことで、より、参加者のビジョン形成、行動喚起を促進することを狙いとしています。
多忙な中、格別のお力添えをいただいた、楊浩勇氏、舩木良真氏には、この場を借りて、改めて謝辞を申し上げます。

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お一人目の講師は、楊浩勇(やん・はおゆう)氏。楊氏は、医師であり、株式会社アルトマーク社の代表を努める。医師である楊氏が「ビジネス」に携わったのは12年前に遡る。本日は、猛スピードで医療情報事業領域を駆け抜ける楊氏に、アントレプレナーとしての鍵となる考え方を披露いただいた。

楊氏の歩みは、「医師によるベンチャー事業」の歩み

まずは、楊氏の経歴を見てみよう。
楊氏は、平成元年慶應義塾大学医学部卒業。同大学眼科学医局に入局。その後、平成8年、慶應義塾大学院経営管理研究科・アントレプレナースクールに第一期生として入学。卒業と同時の平成9年、株式会社メディカル・データ・リサーチ(MDR)を設立、医療分野のIT化とマーケティング主とした事業を始めた。「MDRの事業計画書はアントレプレナースクール時代に書いたもの。教授からは『1,000の事業計画書の中でも3本の指に入る』と言われたものだったのですよ」と楊氏。そのエピソードからも事業への期待が窺い知れる。この頃は「医師が始めたベンチャー」ということで、雑誌に取り上げられ、また株式の主幹事は野村證券が名乗りを上げるなど、上々のスタートであった。その後、「いいことも悪いこともあった」(楊氏)時期を経て、平成11年にマイクロソフト社、その他数社の出資を受けることとなる。ちなみに、マイクロソフト社の日本での出資は11社目、さらに医療分野に絞ると日本初であったという。
MDR社はその後、いくつかの上場企業の出資も受けながら、平成12年にソフトバンクと米国ウェブエムディー(WebMD。NASDAQ上場、米国医療情報最大手企業)に全株を売却、同時にWebMDの日本法人の設立を担当し、取締役(副社長、COO)に就任、平成13年3月の米本社による日本事業撤退時まで同職を努めた。
同社を退任後、平成13年4月より、日医総研研究員としてORCAプロジェクト、IT戦略、医療経営に関する研究と実務を担当した。その後、平成15年1月から平成16年7月まで、Harvard School of Public Health の Research Fellow、そしてHarvard Business School の Prof. Regina Herzlinger に師事。平成18年6月から慶應義塾大学医学部薬理学教室ジェネラルマネージャー兼非常勤講師を努め、その後、クリニックの立ち上げ、サプリメント事業の立ち上げ、さらには、医療におけるITとマーケティング、マネジメントを事業ドメインとするメディウェブ社を経営。そして、平成21年3月に、日本アルトマークと株式交換による合併を敢行、代表取締役に就任。現在に至っている。

「医師になって、ビジネスをやる」との決意。そして実行

このように、楊氏の経歴には猛烈なスピード感がある。
このような楊氏の歩みは、どのようにして生まれたのだろうか。楊氏の生い立ちに触れてみたい。

楊氏は、日本で生まれた華僑の3代目である。幼少時の国籍は中国だが、パスポートは台湾であった。現在国籍は日本にある。
楊氏のキャリアに大きな影響を与えたのは幼少期の父親の言葉にあった。「ちゃんと勉強しないのであれば、中華料理屋にいけ」。この言葉に楊少年は大変な衝撃を受けた。父親曰く、普通に勉強しても、一流企業の社長にはなれない。であれば早く料理屋に入り修行をすれば、皆が大学を卒業するころには店を1軒持てているかもしれない、という論理であった。大変な衝撃を受け、悩む楊少年。そんな楊少年に父親は言った。「言語ができること、技術を持つこと、資格を持つこと、この3つがあれば生きていける。早く行動を起こせ。」
そこで楊少年は、まずは言語の壁を越えることと目標設定し、一人シンガポールに渡った。当時12歳のことである。シンガポールの学校に入り、一人生活で寂しい想いをしながら、さらに楊少年は悩んだ。「技術といっても何をやればいいのか。資格といっても何をやればいいのか」。そこで選んだ職業が「なんとなくかっこいいと思っていた」(楊氏)医師であった。
一方、楊氏の叔父夫婦は上場企業を経営しており、その社会性やスケールの大きさがとてもかっこよく見えた。そして思いついた。「医師になって、ビジネスをやればいい。」

そして楊氏は慶應義塾大学医学部に入学した。そこではすばらしい恩師にめぐり合うなど、人生で貴重な出会いが数多くあったという。そしてさらに、ここでこの後のキャリアを決定づける出来事と出会った。
それは、臨床研究現場でのこと。当時、熱心に臨床研究に勤しんだ楊氏であったが、日本のデータベースの不備にはほとほとあきれていた。海外にあるデータベースは日本にはなく、そもそもコンピュータの普及も遅れていた。このとき「今後絶対に、コンピュータおよびデータベースが臨床に、経営に、患者サービスに使えるはずだ。そこにビジネスの需要が必ずある」と確信したのだ。この気づきが、後の楊氏のビジネス領域を決定づけることとなる。
ちょうどそのとき、慶応ビジネススクールのアントレプレナーシップの第一期生募集をしていた。楊氏は早速入学、そこで、初めてビジネスを学び、自分で事業計画を書いた。当時の教授に「1,000の事業計画のうち、トップ3に入る」と言わしめた秀逸なプラン。この事業計画を元に立ち上げたのがメディカルデータリサーチ(MDR)社である。「MDRでは苦労しました。1987年、当時山一證券が倒産した時代です。私は当時、意図しない形で潜在株の発行をしてしまい、株主にいわば背任行為をした形になってしまいました。この問題を解決するのに、本当に苦労しました。事業どころではなかったですね。家などの資産も手放しましたし、ついに身体を壊し入院するはめになってしまいました。」と楊氏は振り返る。
その後、同社をWebMDに売却したときには、多額の売却益が入ったものの、その後も苦難は続いた。「残念ながら、私はWebMDでは社長になれませんでした。当時30歳そこそこであったことに加えて、『医者には無理だろう』といわれたのです(苦笑)。医師というと「経済音痴」というイメージがあるようで、自分が医師であることにコンプレックスもありました。外資系コンサル会社出身の社長のもと、考え方の衝突があったりと苦しい時期でしたが、それも含めて大変勉強になりました」(楊氏)。その後、米国WebMDの日本撤退の折にも大きな苦難が待っていた。人の問題である。同社立ち上げの際に雇用した多くの優秀な人々を養わなくてはならない。楊氏の責任感は、それを放棄することを許さなかった。そこで楊氏は、クリニックを設立、365日働き稼いだ収益で彼らに給与を支払ったという。「自分のお金で支払ったため、またすっかりお金はなくなってしまいましたよ」と楊氏はそれでも明るく語る。なんというエネルギーだろうか。

その後、楊氏は短いサバティカルの期間を得る。「この期間は大変有益でした。これまでの整理にもなりましたし、次のビジネスを考えるきっかけとなりました。」と楊氏。その後の活躍は、前述のとおりである。

かぎになった考えや行動。

「これから何かを始めようとする方々に参考にしてほしい」と、楊氏のこれまでの歩みの鍵となった考えや行動を示していただいた。
以下に整理して、記述する。

■「不(不満・不安・不利)」を自分の力にする。逆に満たされたら、敢えて「不の状態」を作る

楊氏は「コンプレックスや不利な状況から生まれる強い意志、これが原動力です」と語る。不満、不安、不利が原動力になり、新しい価値が生まれることが多いそうだ。「成功者は「不」の力を上手に使っています。満足すると、人の成長は停止し、衰退していきます。現に私もそうでした。ですから、満足な状態になったら、敢えてチャレンジする「不」を見つけ「不」の状態を作ることで、また新たな「力」がわいてきます」(楊氏)

■夢をカラー付きで「リアル」に理想をイメージする

「『楊さん、ラッキーだったね』といわれることがありますが、まったくそうではありません。偶然やたまたまではない。来るべきその世界をどれだけ具体的にイメージして、どれだけ準備できるか。これが大切なのです」と楊氏は語気を強める。
夢見ること、想像することにより、現実化する可能性は何倍にも高まる。それは、イメージすることによって、自分の構想や気持ち、リソースのなかで「準備」をするからだ。そして実際に行動し、現実化し、それが自信となる。そうすればまた創造は膨らむ。このサイクルのポイントは「小さな願いから、少しづつ大きく、大義にしていく」ことであるという。
さらに「人類の進化に寄与する夢であれば、それは人の共感や、シンクロニシティーを産み、達成される可能性がとても高くなる」(楊氏)そうだ。それには、どのような力が必要か、何を犠牲にしないといけないのか、どれぐらいの期間が必要か、本当にそれを求めているか。それは何故なのか。深く考え抜くべきであり、その想像力によって、人生(仕事、成果、家庭、自分の後生)は大きく変化するという。
その際には、いいことばかりの創造ではなく、悪いことも創造する、ということも忘れてはならない。

■行動の意味、意義を定義する力。意義を感じ、行動する力。

「学園祭を楽しいパーティーやナンパの場として定義するか、または意味を見いだすか?それによって、得られる結果や、内容が違ってくる」この考え方はすなわち、「仕事を家賃や食費を稼ぐためだけと考えるか、または、そこに大義、正義、を見出し、仕事の定義を設定することができるかどうか」。リーダーになる人には大事な力といえる。

■レアだけど、時代の変化でいずれメジャー領域に

「『ユニークな存在でなければ、人生の競争に勝つ自信がなかった』というのが本音。30年前に『医者になってから、ビジネスをするようなバカはいないだろう』と考えたのが、きっかけなのです」と楊氏。
ビジネスセオリーの一つに「ニッチを狙え」はあるが、「ニッチのまま」だと市場は小さい。環境の変化によって、生まれるチャンスを、自分の強みや個性を活かして、大きなチャンスに育てることができるかどうか、ここが重要な点である。「将来かならず、そうなるだろう」と常識的に考えて感じることは、やはりそうなることが多い。しかし、99%の人はそれに対応した行動を起こさない。同じアイデアを考えついても、実際に実行して、継続し、修正しながら、上手にできるひとは0.1%以下。「やってなんぼです!!!」(楊氏)

■目標には、ジグザグで近づくもの

「目的、目標には、直線で到達するものではありません」と楊氏。人生・ビジネスの環境・人の気持ちは常に動いている。変わらないのは原理原則(プリンシプル)、変わるのは環境要因だ、というのが楊氏の考えだ。「成功=原理原則×環境要因」が、楊氏の法則。現象を因数分解し俯瞰し、目的と、目標、自分の足跡を確認する機会を作ることがその法則に則った行動であるという。その際覚えておきたいのが「成功に直線で到達は不可能」ということ。誰も通ったことがない道だからこそ、直感を大事に、時には運に任せ、進むことだ。自分の存在意義や方向性が見えなくなった時には、「考え込むより、何かをし続けることで目的が見えてきます」(楊氏)。

■陰陽思想

「陰陽思想」とは、物事には「陽」と「陰」によって構成されており、「陽」を大きくしたければ、「陰」も必要という考え方である。陰陽の調和が非常に重要であり、一見調和の状態は、この2色が交じり合った状態、つまり「灰色」と見えるがそれは外観上のこと、本質は白はより白く、黒はより黒いということを理解することが重要である「いわば、『「片手にロマン、片手にソロバン』です」と楊氏。ロマンだけでは、実現できず、ソロバンだけでは意味がない。経済性があるから、医療福祉が成り立つということを、忘れてはならない。

■モデル、師匠、メンターを探すこと

ロールモデルを探すことが成功の定義づけのイメージを容易にするという。尊敬できる師匠を見つけ、良いと思ったところは、迷わず真似ることが近道だ。
例えばスポーツや芸能の名プレーヤーには、彼らを育てた名コーチの存在がある。逆に言えば、一流になりたければ名コーチの元で練習すべきであるといえる。
また、メンターとは、公私関係なく信頼できる人生の良き助言者、というのが楊氏の定義だ。「自己点検の意味で、マインドとスキルの「健康診断」をしていただく方がいるのは、私にとって大変意味深いことだと感じています」(楊氏)。

■団体競技か、個人競技か

仕事は「個人競技」か「団体競技」に分けられる。職種や目的、または自分のビジョンの規模や性質によっても違う。「団体競技であれば『強いチーム』を作ることが大事なことはいうまでもありませんね」と楊氏。事業としての団体競技で最も大事なことは、支柱となる「理念」。チームメイトの成長支援、環境整備が、強いチームになる秘訣なのだ。

■目的を達成する力

楊氏は「目的を達成する力」の方程式を持つ。それは、「達成力=スキル(個人+チーム)×(発揮度合い)×モチベーション×チャンス×継続力」というものだ。
楊氏は言う。「『保有力』と『発揮力』は違います。保有力が少なくても発揮できれば大成功。保有能力を高めようとする前に、まず発揮度を上げること、能力を生かすことを考えるべきでしょう。『チャンス』も大事ですね。いい人とめぐり合う努力をすること、いいことをすることがチャンスと出会う可能性を高めます。」
何かの目的を達成したい時、人は自分のスキルの向上に専念する。しかし達成力を構成するには、多くの他の要素がある。それぞれを最大化することを考えるべきであろう。

■死をポジティブに意識すること

これはつまり、「人生は有限であることを認識すること」と言い換えられる。「ちなみに私は引退まで228.8ヶ月(993.4週)、死まで504ヶ月(2,192.7週)と試算しています」と楊氏。この発想には少々度肝を抜かれるが、そう考えると人生とはタイムマネージメント。この限られた時間を管理するという意識が重要であることがはっきりとわかる。「そのためにはまず、優先順位づけが重要です。そして『何をしないか』を決めること。選択とは捨てること、資源を集中させることです。そして、人生は、長さ(線)ではなく、トータルでの充実度(面積)と認識することも、人生を太く深く生きるコツといえると思います」(楊氏)。

継続は力なり

「最後に」といい、楊氏は我々に重要なメッセージをくれた。
「継続はちからなり」「念ずれば、花開く」。
続ければ、いつかは成功する。そこに、一歩一歩近づくこと、自律的な成長を積み重ねていくことが、きっと大きな成果につながることを信じることだ。そう、もしも自分が成し遂げることができなかったら、きっと後輩が後をついで続けてくれる。

夢を持ち、信念を持ち、私たちの想像を超えるエネルギーで幾多のチャレンジをし、また幾多の困難を乗り越えた楊氏の言葉だからこそ、私たちの胸に深く刻み込まれた。私たちの先人には、このようなすごい方がいる。しかしそれは決して一朝一夕ではなく、運や偶然でもない。そこには、ゼロからの第一歩があり、時に迷いながらも信念を持って歩みを止めず、全身全霊の力を込め足を前に踏み出していった、楊氏の一歩一歩の足跡がある。私たちは、そのエネルギーに圧倒された。翻って自分自身の胸のうちに語りかけた。「あなたはどうするの?」。
私たちは今日、楊氏にこの上ないエネルギーと勇気、そして知恵をいただいた。「次は自分の番だ」、誰もがその思いを新たにしたに違いない。

文責:ヘルスケアリーダーシップ研究会 理事 園田愛

ヘルスケアリーダーシップ研究会の活動に関心のある方は、どうぞ社長室の小林さんへ。。。。

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