8.06.2009

味覚

僕は、美味しいものをいただくのが、好きで、そして、作るのも好きです。

僕のお爺ちゃんは、僕が生まれた時にはもう他界していましたが、ドイツ料理のシェフだったそうです。その影響もあるのか、父も味に対して繊細で、美食家でした。僕もその影響があったのか、小さいころに食べた美味しいものが、今でも懐かしく思い出します。

今、食べる美味しいと思う「味」って、結局のところ、過去に味わった味の記憶と、瞬間、瞬間食べている味の比較なんだと思います。

子供の発育上から考えて、12才以下、小学生のあたりまでに、いろいろな感覚器の発達がなされます。小学生までの間に、良い音楽、良い絵、良い言葉、良い味、良い感性、良い刺激を与えてあげることがとても重要に思います。12才までに、化学調味料が多い食事、ファーストフード、お菓子類、などをあまり食べ過ぎると、味覚の味蕾が発達しないのと、破壊されてしまっているようにも思います。

いろいろな方と、お食事をご一緒させていただく機会がありますが、美味しい料理に感動される方、食通の方は、二つのタイプがあることに気付きました。一つは、田舎育ちで、美味しい食材が豊富な地元で、素材の美味しさを自然と学んだひと。もう一つは、親が食通で、御母様が化学調味料を使わないポリシーだったひと。

食べるのが好きで、数年前から西麻布にある和食の名店「分とく山」の野崎洋光料理長の料理教室に通っています(今、ちょっと時間がとれずに数ヶ月お休み中です・・・・・涙)。今、東京で最も予約が取れない和食の人気店です。

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「分とく山」は懐石料理や京料理などのお堅い料理と違い、その基本は「郷土料理」「お袋の味」です。伝統的な日本料理の本質を大切にしながら、常に新しい発想で、新しい食材、新しい調理方法にチェレンジされています。また、旧来の日本料理を否定したヌーベル・キュイジーヌのような奇を狙ったものではなく、日本料理の本流としての進化を感じさせてくれます。本当の伝統とは、基本を大事にしながら時代に合わせて「変化」させることだと悟らされてくれました。

野崎さんの料理を食べ、教室で教えをいただくようになってから、「淡味」の喜びを感じることができるようになって来ました。料理の主役は素材であり、出し汁や調味料は裏方なんだと、当たり前のことを気付かせてもらえました。

調理は素材本来の味を引き出す手段にすぎない。素材の旬、良し悪し、組合せを熟知しなければ本当に素材を生かすことはできないのだと。

野崎さんは「引き算の料理」と言います。それは素材から出るうまみのぶん、出し汁を差し引いてうまみのバランスを整え、調理量は最小限にとどめなければならないと。。。。僕は、ついつい味をどんどん複雑に、濃く、厚化粧してしまいがちでした。。。

良い出し汁は、スーッと喉を通りすぎ、お腹の底からうまさを感じます。喉、食道、胃と、なんの引っかかりも違和感もなく流れていくような感覚を実感できます。きっと、塩分の濃度も、最適であり、カラダに負担がかからないのでしょう。

本当に美味しい料理って、舌で美味しいと感じるのではなく、カラダが「あ~、美味しい」と感じるものだとと気付かされます。それって、きっと、カラダがほしい、必要としている栄養素、無理の無い濃度や形態なのだと思います。スーパーで食材を選んでいる時にも、何が食べたいか?というを、カラダが何を欲しているか?とカラダ聴くようにしています。


一流の方から学ぶと、何事も、自分の専門分野、自分の職業にも応用することができると思っています。

ビジネスプランを書く時、僕はついつい「濃い味」になってしまいがちです。どうやって「淡味」にして、本質にフォーカスし、ブラさないか、見る人が「す~っと」納得、感じ取って、消化して、喜んでくれるか、感動してくれるか、、、、

医療ビジネスの基本をしっかりと押さえながら、どうやって、進化させていくか。変えて良いものと、変えてはいけないものは、どこか?世の変化をどう読み取り、先取りするか?新しい味をどう開発するか?

味も、ビジネスも、まだ、まだ課題が多いことを実感させられます(笑)。

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